一言でスピリチュアルと聞いて、何を連想しますか?
神秘的、神聖なものと感じる一方、なんだかよくわからない。
怪しい。本当のことなの?と思うこともあると思います。
目に見えない世界だからこそ、怪しいと思うし、逆に盲信もしてしまいがちなスピリチュアルの世界。
そんな世界を扱う人として、私が気を付けていることを書いていこうと思います。
スピリチュアル=万能ではない
スピリチュアルっていったい何でしょう。
Wikipediaなどで調べてみると
ラテン語のspiritusに由来する言葉で、霊的であること、霊魂に関するさま――となっています。
そこから派生して、
精神的な物事、霊、魂、精神、超自然的、神聖、
などを意味する言葉として一般的に認知されていると思います。
広くとらえれば、スピリチュアルを信じている人も信じていない人も、体には意識があり、それは自分の魂なので全員スピリチュアルな存在と言えます。
ただ、スピリチュアルを信じていようとなかろうと、豊かな人もそうでない人もいます。
そしてスピリチャルを信じていようとなかろうと、健康な人もそうでない人もいます。
現実世界が大切。だって三次元の存在だから。
「存在」にはそれぞれの層があります。
例えば「石・岩・大地」は第1層。
その上に第2層の「植物」があり、
その上に第3層の「動物」がいて、
第4層が「スピリット」の世界です。
人間は動物なので第3層の住人です。第3層での学びは経験すること。
喜びも悲しみも痛みも安らぎも、すべての事が経験となります。
第4層のスピリットの存在は、実態がないので痛みを経験することができないし、痛みを経験することがなければ、その反対の安らぎがどういうものかも分からないのです。
だから、遊園地のアトラクションに乗ってスリルを経験してみたいように、第3層に下りてきて様々な経験をしたいと思っています。
様々な経験は、スピリットの立場からしたら、うらやましい経験なのかもしれません。
一歩ひいて考えてみることも必要
世の中にはスピリチュアルについて色々な意見があって、占いもそうですけど、
「これを信じたらうまくいく」とか
「豊かになるためには好きなことだけやっていればOK」とか
一見耳障りのいいことが、もてはやされていたんじゃないかなぁと思います。
たしかに苦しみは辛いし、痛いのは嫌だし、自己嫌悪も、病気も、豊かじゃないのも嫌ですよね。
でも、それを経験するために制限のある第3層にわざわざ生まれてきたのだとしたら?
そして、それを乗り越える喜びを味わいたいのだとしたら?
乗り越える方法を、もうすでに知っていて、あとは実行するだけだったとしたら?
本当は自分の中にすべて答えがあって、どうすればいいのかは【自分が良く知っている】のかもしれませんよ。
誰かからの受け売りの答えや、「こうあるべき」にとらわれないで、自分の心と向き合ってみてもいいかもしれません。
でも、そんな時でも、私は最低限のこの世のルールは大切にしたいと思います。
例えば法外なお金を取るとか、依存させるとか、秩序に反することとか、礼儀やマナーに反しているとか・・・。
そういうのはスピリチュアル的で無いと思います。
自分の感情のみで動くのは精神の発達していない動物のことで、私たち人間は理性や知性が発達したからこそ精神性が発達したのだと思うからです。
まとめ
結局のところ、生きていれば悩みもあるし、頭を掻きむしりたくなる時もあると思います。
私自身だって、調子の悪いときや落ち込むこともあるし、偉そうなことを言える立場ではありません…(笑)
でも何のために人として存在しているのか?って考えたら、助け合うために存在しているのかな。とも思います。
自分自身でしか傷を癒すことができないとしても、見届けている人がいるから、人って頑張れるのではないかと思うのです。
そして私は、私自身のためにも、人には誠実でありたいのです。
アクセスバーズをセッションとして提供しているのは、私の価値観などを押し付けることがないからです。
受けた人が自分の中から答えを出していけるように、その答えが出るのを邪魔しているブロックをただ解除するだけだからです。
あなたが自分の中にある答えを見つけられるように、私は応援しています。
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