感情を司るのは女性性です。
どうしようもなく湧き上がってくる、自然の摂理は女性性の領分です。
対する男性性は、社会性や理性を司ります。
自然の摂理でもある感情ですが、これをさらに細かく分類していくと
悲しみは女性性(陰)
怒りは男性性(陽)のエネルギーをもっています。
悲しみは「悲しみにおぼれる」と表現されるように、水のエネルギーを持ちます。
怒りは「怒りに焼かれる」と表現するとしっくりくるように、火のエネルギーを持ちます。
どちらの感情も、強すぎれば身を滅ぼしてしまうような大きな力を持ちます。
悲しむだけだと、グルグルと同じところを回り続け、その感情におぼれてしまうし、
怒りだけだと、その激しい感情で、自分の身をも燃やし尽くしてしまうでしょう。
だからこそ、自分の中の感情を見つめなおし、陰と陽を統合していく必要があります。
たとえば、怒りを感じていたとしたら、その奥にある悲しみに気づいてあげるとか。
悲しみを感じているとしたら、どうしてそうなるまで、自分をないがしろにしていたのか気づいてあげるとか。
(ないがしろにしていたことの怒りが少し出てくる)
必ず陰と陽の中には、小さな対極があります。
そして、どちらかが極まると、今度は対極の方に転じていきます。
極まれば対極に向かうのがバランスを取ることでもあります。
夏至や冬至でエネルギーが変わるのも、陰陽のバランスを取っているからです。
(というか、それが自然の本質なのです)
日本語で人知を超えた存在を「カミ」と言います。
カは火の事であり。
ミは水の事です。
このカとミを統合すると「神」になります。
そして人も男性性(お父さん)と女性性(お母さん)が結ばれたので、肉体を持ち現れることができました。
なので、この現実に存在している時点で、私たちは陰陽を統合した存在です。
だからこそ、どちらか一方に片寄るのではなく、
自分の中の陰と陽をバランスよくクルクルと回していくことが大切なのです。
縄文時代は一万年も続いたとされていますが、その間、戦争など人々が争った形跡がみつからないそうです。
この頃はアミニズムであったとされ、自然を崇拝し、調和していたのだと思います。
なので、縄文時代の信仰の対象は「自然=女性」で、女性をモチーフとした土偶や土器がたくさん見つかります。
(我が家の「縄文のヴィーナス」たち)
対する現代では、社会性が発達し、とても便利になりましたが、
感情を理性で押さえつけるのが当たり前となり、その結果、争いが起こるようになりました。
自分の内側で起きていることが、外側にも同じように起きていることだとしたら。
自分の感情と調和することが、自分の平和と繋がり、それが外の世界にもつながっていきます。
とはいえ、いきなり自分の感情と向き合うのも難しいところなので・・・
エネルギーワーカーとしては、まずは自分の感情を知ることから始めてみることをおススメします。
今、自分は何を感じているか。
何を美しいと思うのか。
何を恐れているのか。
実は私も、そこら辺の感覚が鈍いところもあって、つい感情を押し込めてしまうところがあります。
なので、これからは素直にもう少し感情というものを丁寧に感じていこうと思います。
その時に、どんな世界が見えるのか楽しみです。
あなたは感情に対して、どんな風に受け止め、感じているでしょうか?
教えてくれるとうれしいです。
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