心に響く法話のことばたち - 日常に活かせる仏教の知恵
- 佐藤 ひろみ
- 4月7日
- 読了時間: 6分
更新日:4月10日

はじめに
4月3日、水曜日の法要の日に、清水寺の成就院で清水寺の僧侶、大西英玄さんから心温まる法の話を聞く貴重な機会に恵まれました。
現代を生きる私たちの心に深く響く言葉の数々に触れ、その温もりを皆さんと分かち合いたいと思います。
心に残る法話のことば
「白雲心」 - 自由に感じる心の在り方
成就院に飾られていたのは「白雲心」という書。
何をどう考えず、雲のようにゆったりと心の在り方を表しています。
私たちも時々、固定観念から解放され、もっと自由に心を開いていけたら…そんな思いが湧いてきます。
「今を大切に生きる」とは、感じる時間を持つこと
「今を大切にしましょう」という言葉をよく聞きますよね。
でも、具体的にどうすれば「今」を大切にできるのでしょうか?
大西さんは、生きていく上で2つの大切な軸があると優しく言ってくださいました。
1つ目の軸:他人からのや期待社会の役割に応える生き方
仕事で認められたい、周りから期待に応えたい、責任を果たしたい...。これらはもちろん大切なことです。でも、これだけ心を尽くしていると、いつしか疲れることもあります。
2つ目の軸:「私」を感じる時間を持つこと
自分はどんな時にも喜び、悲しみ、怒り、楽しさを感じるのか。
何に心が動き、何に違和感を感じるのか。
「私はこれが好き」「私はこう感じた」と、主語が「私」である時間を大切にすること。
感じることこそが「今を生きる」ということなのかもしれません。
人からの評価や苦痛ではなく、自分自身が感じたことが「本当の今」。
そして、その感覚の中にこそ、あなたの人生の主語があるのですね。
「唯心荘(ゆいしんそう)」 - すべては心しだい
「唯心荘(ゆいしんそう)」とは、人は「あなただけの心が体(荘)に宿る」という意味です。
どんな人も、それぞれがそれぞれの体験をしていく中で、「あなただけの心」がそこに宿っていると言います。
同じことを見聞きしても、心がどう感じるか、どう動くかは、それぞれ唯一のものなのです。
そして、心がどう感じるかによって、仏教の教えでは、「すべては心によって作られる」という深い洞察を伝えています。
『華厳経』には「三界唯心、万法唯識」 - この世界のすべては、心のありようによって決まる - とあります。
外の世界がどうかではなく、自分の心がどうなっているかによって、世界の見方や感じ方が決まってくる...。
この言葉を聞いたとき、日々の小さな出来事への見方が変わったような気がしました。
「精進とは、己に勝つこと」
精進とは「他人よりうまくやること」ではなく、「昨日の自分より、ほんの少しでもマシになること」だと教えてくださいました。
報われる感覚も、「誰かに認められること」ではなく、「自分が、自分を認められること」から始まるのだと思います...。
この言葉に触れたとき、肩の力が少し抜けるのを感じました。
「変われない理由は『バケツの穴』」
私たちの脳は「今を守る天才」なのだそうです。
変化はリスク、安定は生存...だから脳はこうアドバイスするのですね:
「今、生きているから、変わらなくてもいいじゃない」
「チャレンジなんて、失敗するかもしれないよ」
その結果、私たちは:
できない理由をつい思いついてしまう(言い訳の自動生成機)
不安や孤独、焦りが強くなる(感情による監視制)
失敗したときのシナリオを想像して動ける(予防的妄想)
これは心理学では「ホメオスタシスの罠」と呼ばれるものなのとか。
例:
成功しそうになると「自分らしくない」と感じてブレーキをかけてしまう
行動を起こそうとすると、特に急に不安や眠くなる
ポジティブな未来を思い描くと、どこかで「でも…」という言葉がついてくる
こんなふうに、自分の心の動きに気づくだけでも、少しは囚われから自由になれるのかもしれませんね。
「緊張するのは、持っていないものが出てくる『おこがましさ』から来る」
緊張の正体は、良く見せたい、完璧にこなしたい、失敗したくない...という思いの裏に、「今の自分では足りない」「もっと自分を見せなければ」という気持ちがあるからなのだそうです。
しかし、「持っているものしかない」という単純な事実に気づいた瞬間、肩の力がふっと抜けるのを感じます。
緊張の正体は「自分を超えようとしている無意識の傲り」なのだそうです。
だから、緊張しているときは自分を「大きく見せる」必要はありません。
「あ、今の自分を出してるな」と気づくだけでいい。とのお話です。 (↑このお話、めっちゃ刺さりました。私、緊張しぃなので・・・)
「比べることで不幸が始まります。自分の道で、自分の歩みを進めればよい」
私たちはなぜ人と比べてしまうのでしょうか?
社会に育てられた「優劣」の物差し
学校で植えつけられた「順位」の習慣
SNSで見せつけられる「誰かの幸せそうな瞬間」
それでも仏教的に見れば、「私」は唯一無二であり、本来、人と比べる必要はないのです。
「努力は報われるとは限らない。他人との比較ではなく、自分の中にある」
努力が報われるための4つの要素(E・D・G・E)
E - Enrich(人を豊かにする):自分だけでなく周囲に価値を考えること
D - Delight(人を喜ばせる):相手の心を動かし、喜びや笑顔を持てる力
G - Guide(人を導く):経験を共有したり、伴走者となるような存在
E - Effort(努力):日々の積み重ね、やり抜く力
「努力報われない時もある。でも、無駄にはならない」
この一見矛盾した言葉に、深い真実を感じました。 努力は「報われる」とは限らない…必要な結果が得られるとは限らない。
それでも、努力は無駄にはならない...「どうせダメだ」と諦めて何もしないのと、「それでもやってみる」と積み重ねるのとでは、心の在り方が全く違うのです。
ここで大西さんが教えて言った「謝の心(しゃのこころ)」という仏教の概念。
見返りを求めない、気を張らない、執着しない、ありのままを受け入れる...
「それでも、一心に留める」という精神。
つまり、「うまくいくからやる」のではなく、「やるから、そこに意味がある」のだと。
人生は思い通りにならないから、心の持ち方はすべてなのかもしれない。
私の中に残ったもの
法話を聞いていて感じたのは、「心のあり方が、感情や行動を変えていく」ということ。
今この瞬間に、どれだけ意識を向けて、感じる時間をもっているかが、人生の質をつくっていくのだと気づきました。

まとめ
法話というと敷居が高く感じられるかも知れませんが、大西さんの言葉はどれも、どんな人の日常すっと寄り添ってくれるものでした。
忙しい毎日の中でも、ふと思い出して、自分の心の声に耳を傾ける時間を大切にしていきたいと思います。
あなたはどの言葉にハッと気づかされましたか?
良かったらコメントで教えてください。
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