「チャクラが乱れてて気持ち悪い」と言われた日。それでも私が自分を信じる旅
- 佐藤 ひろみ
- 4月16日
- 読了時間: 5分

「あなたの第1チャクラ、乱れてて…見ていて気持ち悪い」
そんなふうに言われたことがあります。
当時の私は、エネルギーやスピリチュアルの世界に興味を持ち始めた頃。
「チャクラ」や「オーラ」といった言葉も聞いたことがあるけれど、自分で感じ取ることはできなくて、
その一線で活躍している「見える人」に教えてもらうことで、私自身の成長になるのではと、「自分を知りたい」「整えたい」「見えるようになりたい」と前向きな気持ちで学んでいました。
でもその日、「ちょっと、あなたのチャクラ見てみますね・・・正直に言っていいですか?」と、前置きを置いた後、その人の口から放たれた一言に、心がギュッと縮こまりました。
「見ていて気持ち悪い」って、そんな言い方…ある?
たしかにチャクラは乱れることもある。
今の私なら、こう反論することができます。
でも、当時の私は「見える人」の言葉をすべて受け取ってしまいました。
それって“ダメ”なことなの?
チャクラが気持ち悪いって・・・私ってそんな存在なの・・・?
と平静を装いながら、足元からガラガラと土台が崩れていくような感じがしました。
それは、いわゆる「見える人」からの言葉だったからこそ、余計に反論できなくて。
「私が悪いのかな」「整ってない私は、気持ち悪い存在なのかな」そんなふうに、自分を責めてしまうきっかけになりました。
見えないものだからこそ、言葉に“誠実さ”が必要だと思う
スピリチュアルの世界には、たしかに「見える人」と「見えない人」がいます。
でも、見えないものだからこそ、“見える人の言葉”がすごく強く感じられることがあります。
「あなたのエネルギーは重たい」
「〇〇のカルマがある」
「前世でこんなことをしていた」
こういった言葉を、私もこれまで何度か耳にしてきました。
それが的を射ていて、愛を持って伝えられるのなら、受け取る側にとっては気づきになることもあります。
でも、「あなたはこうです」「だからこうすべきです」といったような断定的な言い方や、“本人の気持ちを置き去りにしたアドバイス”は、時に大きな傷を残すこともあると、私は思うのです。
チャクラは“いつも整っているのが正解”じゃない
そもそも、チャクラってそんなに常にピカピカでいられるものでしょうか?
人間は、日々生活して、働いて、悩んで、揺れ動いて――当たり前に“波”がある存在です。
チャクラだって、その影響を受けて揺らぐのが自然なこと。
それってまるで、毎日外に出て体が汚れるのと同じで、「お風呂に入ってリセットする」のと同じように、チャクラも日々整え直せばいいだけのことなんですよね。
一生に一度整えばOK、というものじゃない。
むしろ、毎日の「自分との対話」や「心と体を労わること」の中で、少しずつ整っていく“循環”が大切なんだと思います。
だから、「チャクラが乱れてる=ダメ」「整っていない=劣ってる」そんな見方は、手放していい。
ラベルではなく、感覚に寄り添いたい
私は今、「癒し」や「自己理解」のお手伝いをしています。
エネルギーのことにも触れるし、チャクラにもアプローチします。
でもその時、絶対に忘れたくないと思っていることがあります。
それは、“見えないものに、ラベルという「レッテル」を貼らない”こと。
「あなたは〇〇タイプですね」「あなたの第△チャクラは閉じてます」そう言うことで、人をわかった気になるのではなく、
「あなたはどう感じていますか?」「今、何を大切にしたいと思っていますか?」という問いを大切にしたい。
癒しの場で一番大切なのは、その人自身の感覚に寄り添うことだと思うのです。
あの体験が教えてくれた、私のスタンス
あの日、私のチャクラに「気持ち悪い」と言ったあの人の言葉は、今でも時々思い出します。
でも今は、違う見方ができるようになりました。
あの違和感があったからこそ、私は「自分を信じたい」と強く思うようになったし、「自分の感覚を大事にしてくれる人のもとで学びたい」と思うようになりました。
そして、同じように「スピリチュアルが好きだけど、どこか不信感もあって…」という人の力になりたいと、今は心から思っています。
スピリチュアルという目に見えない世界を相手にしていると、「弱った人の心に付け込んでる」と思う人もいます。
確かに、そうだと思います。
現に、私も「そんなに乱れたチャクラなら何とかしないと!」って思いました。
でも、あなたはそこで立ち止まってください。「それって真実?」といつも自分の感覚に耳を傾けてください。 (ちなみに、私はこのことをきっかけに、理不尽な思い込みを投げつけられたときは「ひろゆき」を召喚し、「それって、あなたの感想ですよね?」と言ってもらいます。(笑))
おわりに
スピリチュアルは、信じる信じない以前に「人の心と向き合う世界」だと、私は思います。
だからこそ、“見える/見えない”ではなく、“どう感じるか”“どう在りたいか”を一緒に見つめていくことを、私はこれからも大切にしていきたいです。
この記事が、もしも少しでも心に触れたら――あなた自身の感覚を、どうか信じてあげてくださいね。
そして忘れないでください -
誰かに「あなたのチャクラ、気持ち悪い」と言われても、
「あなたこそ、ハートのチャクラ洗ってこいよ!」と心の中でつぶやいていいんですよ。
(冗談です...半分は)
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