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  • 執筆者の写真佐藤 ひろみ

ヒーリングとの出会い

私がヒーリングというものを初めて勉強したのは、母の病気がきっかけでした。


どんなふうにヒーリング携わるようになり、今に至るのか、そんな話をしてみようと思います

 

いきなり話は飛びますが・・

小さなころから、割とアニメが好きだった私は、声で演技をする声優に憧れていました。


オランダにいた頃は、テレビを見てもオランダ語がさっぱりわからないので、見るものと言えばファンファクトリー(fun factory)という子供用チャンネルと歌番組でした。


そのときの歌番組は、マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパー、マドンナ、カルチャークラブなどのミュージックビデオ(MV)がずっとながれていて、当時のMVは一つのドラマを見ているみたいで、すっごく面白かった記憶があります。


で、その中で、たまたま偶然「リボンの騎士」が放映されていました。


このリボンの騎士だけは、吹替もなくて、日本語の音声で下に英語の字幕が付いていたと思います。



ジャパニーズカルチャーに憧れるかの如く、やっぱり日本のアニメは面白いなー、こんな風にアニメの仕事に携われる人になりたいなーと思っていました(笑)

(そのとき、ファミコンが出始めたころで、日本に帰ればファミコンができるんだ!と思ってワクワクしていました。)


そんなわけで、帰国してもその夢を諦めきれず、養成所に通いましたが、結果、鳴かず飛ばずの中途半端な人生を歩むことになってしまいました。


すこし、お仕事をいただいたこともありますが、なにせ、それだけではやっていけないので、アルバイトとの二足の草鞋。


そうとうフラフラしていたので、完全に黒歴史です。

(一生封印しようと思っていたのに告白してしまった・・・)


そんな時、アルバイト先に向かう通勤途中にめずらしく母から電話がありました。

それが、母の病気を初めて聞かされ、人生の転機となったタイミングでした。


 

母の病気は、大腸がんでした。


発覚したときにはすでにステージⅢ。転移のおそれもありました。


日に日に弱っていく母に、今まで好き勝手なことをしているのを懺悔するかのように、私は自分にできることを探していました。


そのとき初めて、【レイキ】というエネルギーワークを学び始めました。 母が病になる前の私のスピリチュアルの知識は、当時は江原啓之さんが話題になっていたころで、本やテレビから得た知識くらいのものでした。 その時の私は「スピリチュアルやヒーリングと言うものは“もともと何かが見えるような特別な人”ができる事」と、思っていました。 過去の私と同じように、エネルギーワークやヒーリングに対して 「怪しそう」「大丈夫?」「効くの?」と思われるのも理解できます。 人の心理として「目に見えないもの」や「仕組みが分かりにくい」ものはやはり、不安だし怪しく感じます。 けれども、自分が学び実践してみると、それは思い込みだったことが分かりました。


とはいえ最初は、なんか良く分からないけど、手があったかくなる気がする・・・

そのくらいの感覚でした。​



 

母は、レイキのエネルギーを流すことで幾分か楽になるようで、痛むときなどはさすってあげると喜ばれました。


それでも、実際の所、(宗教とは全く関係ないけれど)なんだか色々な作法があったり、ちょっと不思議な感覚を醸し出しているのはあまり好きではなくて、それほど馴染めませんでした。


だから、さりげなくマッサージをするようにエネルギーを流していたのです。



そういったわけで、こういったエネルギーワークと言われるヒーリングは自分の中にとどめて置きました。


でも、自分で使っているうちに面白いことも起こるようになりました。

なんとなく直感が冴えてきたり、願い事が叶っていったり、そういう事もありました。


それでも結局のところ、ヒーリングでお金を取るというのは、困っている人からお金を奪っているような感じもして、仕事としてはやらないだろうなぁとも思っていました。


レイキがきっかけでしたが、ヒーリングにはいろいろなテクニックがあることを知り、その次はシータヒーリングを学びました。

 

シータヒーリングでは病気を癒すためには、病気を作り出してしまった思い込みを消し去ればよいと言います。


思い込みには、生きてきた中で出来てしまったもの、先祖から受け継いでいるもの・・などいくつかのレベルがあり、その思い込みの土台を見つけて、カウンセリングを行いながら消去していくセッションです。


例えば「悲しみ」を押し殺していると、その感情は肺に溜まり、呼吸に関する病気になったり。

また「怒り」はお腹に溜まるなど、臓器それぞれに感情と結びつくことがあります。


感情を取り扱うセッションを行うので、シータヒーリングには優れたカウンセリング技術が必要になります。


心の奥に閉じ込めておきたかったことも、消去するためには見つけないといけないので、セッションはとてもセンシティブなものになります。



私はその当時、自分にそれほどのモノを受け止めるだけの器がなかったのと、ましてや母という身近な存在の心の奥までを見ていくことはできずにいました。


結果的には、主治医の先生が予想した余命以上の時間を過ごすことができたものの、母の病気が治ることはなく、天国へと旅立ちました。


 

母の死をきっかけに、地元の神奈川県を離れる決心がつきました。


嫁いだ先が馴染みのなかった京都で、友達も知り合いも全くいない場所に来てしまいました。


しかも、結婚生活スタートと同時に夫の母と同居だったので、とにかく家にいるのがつらかった時期もありました。


どうしても外に出たかったとき、私にできることはヒーリングの事だけだったので、シータヒーリングの練習会に参加しようと思いました。


そこで、当時シータヒーリングのプロコーチだった朝霧蓮さんの所に通うようになりました。


そのころ蓮さんが始めていたアクセスバーズを教えてもらいました。


アクセスバーズはカウンセリングが必要ないということと、シータヒーリングの体制が少し変わってきたのもあって、アクセスバーズにシフトしていきました。



 

アクセスバーズは頭にあるポイントにタッチすることで、そのポイントにまつわる思考を解除していきます。


考えすぎの時のリラックスには、とってもいいテクニックです。


アクセスバーズを運営しているアクセスコンシャスネスでは、バーズだけでなく、ボディプロセスというものがあります。


これは、体に溜まっている思い込みを解除していきます。


ボディプロセスでは、エネルギーごとにいろんな種類があって、つねに60種類くらいあるようです。


それも、年ごとに教えてくれるエネルギーの入れ替えが行われているようです。


エネルギーについて学べるのはとっても面白いと思ったけれど、アクセスコンシャスネスのやり方に付いていくのが突然めんどくさくなりました。(笑)


「もうポケモンかよ!?」っていうくらい、エネルギーの種類があって、それぞれにおさえるポイントだとか、エネルギーの名前を覚えなくてはならないし・・・。


私は、そんなたくさん持ってても使いこなせないかも・・と思いました。



 

そんな時に、アメリカ在住のパチコスキー真由美さんから「だったらクォンタムタッチがあるわよ」と教えてもらいました。


実は、「クォンタムタッチ」という名前自体は以前から知っていて、本も読んだことがありました。


でも原理がいまいち良く分からないし、そんな遠隔でもできるって「ありえない」と思っていました。


真由美さんが言うには「簡単にいつでも、道具もいらずにできるということは、災害時や緊急時の時にもつかえるのよ」ということでした。


たしかに!



たとえば、着の身着のままで避難しているとき、大袈裟な準備も道具もいらず、儀式めいたこともせず、さりげなく何事もなかったかのようにできる。


クォンタムタッチはそんなヒーリングだったのです。

あまりにシンプルなので「ほんとにやってるの?」と思われるかもしれませんが、そこがいいんです。


そして、クォンタムタッチが凄いなと思うのは、今まで勉強してきたことがムダにならないという事です。


今まで散々勉強してきましたが、そのどれともクォンタムタッチは組み合わせることができます。


そんな自由なところも良くて、クォンタムタッチを伝えていきたいな~という現在に至るのでした。





















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